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On This Day 【10SEP】

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本日は西暦2015年の9月10日 (木)、

かつて自分が撮影した携帯電話の写真から、
○年前の同日、一体私は何をしていたのか、探ってみましょう。


※9月10日、
  もしくは同日の撮影写真がなかった際はその前日9月9日の写真をピックアップ。









◆2014年9月10日 (水)

20140910.jpg


ついに寿司脱却2014!

でも今のところ、2014年の食べ物写真確率は100%ですね。

この写真については、ついぞ1年前の出来事であるというのに、
あまり詳しい状況を思い出すことができません。
たぶん、ホームパーティ的なイベントの開催で、
身近なベトナム人の子の誕生日を祝うのに、
彼女の希望でピザ宅配……といったような流れだった気がします。

ちなみに、こちらのピザの料金は、日本のピザより随分安いです。
というよりも、日本の宅配ピザが、世界的に見ても異常な高騰価格なのです。

たぶん、一番スタンダードなメニューとサイズで選んだとして、
ベトナムだったら800円ぐらいのピザが、日本だとだいたい3,000円前後。
でもまあ、これは国同士の物価の違いで考えたら当然かも、
と納得してしまいがちな絶妙な価格差ではあるのですが、
例えば、物価は日本と同等、もしくは向こうの方が若干高いであろうと思われる
ピザ大国・USAの宅配ピザ料金表などをチェックしてみると、
上述のスタンダードメニューで、大体10US$前後が標準のようです。 (約1,200円)

私が他の国で宅配ピザの料金を知りうるきっかけがあったところというと、
西欧オーストリアのウィーンにおいての話になりますが、
この音楽の都ウィーンという都市、
一般のイメージにはあまり結びつかないことかと思いますけれど、
現代では意外なまでに完全ピザ屋街と化している一面がありまして、
今でも、「ウィーンのイメージ」 を現実的に思い出そうとすると、
あの歴史を感じる古風な町並みのどの場面にも流れていた、
焼き立てのピザの香りが反射的に呼び起こされるほどの浸透率だったのですが、
そのぐらいピザが市民権を得ているお国柄なだけのことはあり、
同条件での宅配ピザ料金は、だいたい1枚あたり12~13€ (約1,700円) と安価。

日本の場合、安い料金に設定して、注文がたくさん入ってしまうと、
デリバリーコストがより嵩んで採算が取れないので、
あえて、お客が高めだなと思うぐらいの料金設定にしているなどという話もありますが、
何にせよ、タクシー料金と並んで、世界的にみても
日本ならではのハイプライス商品であることは間違いありません。


ところで、今の私の心境は、
上述のウィーンでのピザ宅配料金を思い出すにあたって、
ウィーンがいかにピザに満ちていた土地であったかという記憶を掘り下げようとし、
必然的に、ウィーンという町の空気、町並み、人々、雰囲気、
その辺諸々のディティールにまで思いを馳せる羽目になってしまったがため、
現在、ものすごく、凄まじいまでの、過去への郷愁、
もとい、ウィーンを焦がれるウィーンシックが発動されている状態です。

ウィーン懐かしいです。
ウィーン好きです。
ウィーン行きたいです。
ウィーン、嗚呼、麗しきウィーン。

しかしこんな思い出から脱却せずにいると、
今回の日記の趣旨からは外れていく一方の展開しか予感できませんので、
思念の向かう先をウィーンからホーチミンへ9,000Km引っ張り戻し、
気を取り直して2013年へいってみたいと思います。










◆2013年9月10日 (火)

20130910.jpg


またThe Firstですね。
この年は、The Firstさんへ行っている率が異常に高いですね。
そして、さすが、こんな画質の悪い携帯写真からでも、
滲み出るお洒落スポット感がすごいですね。

ベトナムへ来て、日本に居た頃と一番変わったなと思う生活のポイントは、
平日夜の時間の使い方である気がします。
言い方を変えると、「お酒を飲む」 という場面の驚異的な増加ということです。

ベトナムへ移住して早2年半、今では、その都度の量は多かれ少なかれ、
お酒を1滴も飲まずに終わる一日というのは
かなり稀な確率になってきてしまっていますが、
日本に居た頃を思い出してみると、まず家でお酒を飲むということはほぼ無いし、
「移動手段が車」 という逃れられない枷が常に存在しているという理由故、
外食時にお酒が入ることも可能性としてはかなり低かったため、
言うなれば、忘年会、送別会といった類の特別な会合でもない限りは、
お酒を嗜むという機会自体にめぐり合うこともないスタイルが確率されていたわけです。

また、私の、日本ではない場所での生活として過去を思い返してみた場合、
ウィーンでの滞在時期もありますが、いかにも上述のような
「お洒落スポット」 的飲み屋が乱立していそうな土地柄であるにも関わらず、
当時の私は、残念ながら、ほぼ一切、そのような場面に出没することはありませんでした。
なぜかと言うと、基本的に誰かと飲むということ自体がなかったからです。
というよりは、当時10代の年頃であった私は、他者との必要以上の交わりを
できる限り回避しようとする志向のもとに行動を成り立たせていたため、
せっかく現地でできたお友達や知り合いとも、
基本的に最小限の交流 (学校帰りにカフェで雑談に興じる、等)程度にしか
友好関係を築かせようとはしていませんでした。

では、何をしていたのかというと、
かねてより憧れの地であったウィーンという町の空の下、
当時の私は、自分自身、それと自分自身を取り巻く異文化、その二つとのみ対峙し、
一見 「孤独」 と見誤りそうな静寂さをもった 「自己世界」 だけに浸りつつ、
毎日、愛すべき異国の空気を吸い、そこに混じる過去の香りに心を寄せながら、
ひたすら、己の内部より生まれ出る情感と感覚を文字の上に現し続ける、
といった内面的な作業に没頭する日々であったように思います。


まあ具体的に言うと、つまり引きこもりだったということなんですね。

いや、厳密にいうと本当は引きこもりではなくて、
意味もなく夜の町を (一人で) 歩き回ったりだとか、
意味もなく遠い町まで (一人で) 彷徨い向かってみたりだとか、
結構アクティブな不審者行動に精を出してはいたのですが、
今回のくだりで特筆すべきは、その全てが、もはやプロフェッショナルな域の
お一人様活動であるという点なんでしょうね!
そうです、だから飲みにもいかないからお洒落なバーも全然知らなかったんです!
そう考えると、こんなお洒落なThe Firstさんへやたら通えるようになっていたっぽい
2013年の私は、昔からすると、いろんな意味で変わってしまったということですね!
よし!
結構無理やりっぽいけど、なんとか導入部の話題に着地させることができた!

ちなみに2014年と2015年は、The Firstさんへ全然行けていません。
すみません、もっとお洒落モード発動させてがんばります。










◆2012年9月9日 (日)

20120909.jpg


ああ。
これ ですね。


なんだかんだ、新潟に20年以上住んでおきながら、
佐渡ヶ島へ行ったことって、小学生の時に数回 (修学旅行含む) と、
あとはこの時 (仕事) の1回ぐらいしかないんですよね。

いくら県内とはいえ、なんだかんだ、カーフェリーを使うと、
新潟港から両津港まで2時間半の所要ですからね。
2時間半って結構遠いですよね。
特急列車を使えば、新潟から酒田まで行けてしまうし、
新幹線を使えば東京まで、
飛行機を使えば福岡空港、もしくはソウル空港までは到達できる所要時間です。

遠いんですよ。
日本の場合は海に隔たれているので、
空路以外は国内のみの移動でしか例えられませんが、
大陸内の感覚で考えれば、所要2時間30分あれば平気で国外まで行き放題。
ここホーチミンでいえば、タイのバンコクまでは飛行機で1時間30分、
隣国カンボジアのプノンペンなどは、たったの40分。
鉄道技術の発展した欧米諸国に話を移せば、
パリ-ロンドン間の国際列車ユーロスターは、所要2時間30分。
アムステルダムーケルン間のICE高速鉄道も、所要2時間30分。
普通の特急列車だったとしても、ミュンヘン-ザルツブルク間で所要2時間。
ウィーン-ブダペスト間で所要2時間30分。
そうなんです、ウィーンからブダペストはものの2時間30分で行けてしまうのです。

ブダペストといえば、私が今までの人生で見た「景色」 の中で、
最も印象に残っているものを挙げろといわれた場合、
一番最初に思い浮かんでくるのは、ハンガリー・ブダペストの、
ドナウ川を挟んでブダ側から見た、国会議事堂などの並ぶペスト側の風景なのです。
これまで私の目で見た絶景ベスト3の中には、間違いなく全力ランクインです。
澄み切った空と、雄大な川の流れと、年月の匂いたつような古壁の一つ一つが醸し出す、
町自体の清廉な気配が、血の混ざり合う複雑な生命の香りも含み、
一種神聖なまでの、完成された美しさと冷たさを誇っている土地です。

とはいっても、今の時点でブダペスト訪問時を思い返してみると、
実は真っ先に思い起こされてくるのは
「ハンガリー人は外国人のことを死ぬほど見てくる」
という事実への衝撃だったんですけどね。

上記、「血の混ざり合い」 という文言が示すとおり、
ハンガリー人というのは、祖先は元々アジア系遊牧民族で、
今でも赤ちゃんのお尻には蒙古班が出たりだとか、
名前の順番は苗字が先だったりとか (日本と同じ) で、ヨーロッパの中でも
相当アジア民族としてのルーツが濃厚なわけですが、
そんな元来アジア系の期限をもつ人々にとって、
我々のような純粋アジア人の何故が珍しいのかまったくもって謎ですが、
とにかく、こちらをジロジロと見てくるその見方が、半端じゃない。

訪れた時は、ウィーンからの日帰り旅行で足を伸ばした形でしたが、
ウィーンでは通行人の視線を感じることなどほぼ皆無に等しかったというのに、
一歩ブダペストに降り立ったその瞬間から、
道を歩けば、老若男女に振り返るかのように目で追われ、
地下鉄に乗ろうものなら、一車両中の緯線をほぼ一身に浴びる羽目になる始末。

これは、さすがに、
私が視線恐怖症気味の自意識過剰であるという点を差し引いたとしても、
絶対に勘違いでも思い過ごしでもなく、確固たる事実です。
この時は、ウィーンで出会った数少ない知人の日本人女子と一緒に出かけていましたが、
彼女も、ことあるごとに 「すごい……見てる……」 と、小鹿の如く、
その睨め付けるかのようなマジャル人たちの
猛烈熱視線に怯えていましたので、その点は確かです。

別に外国人が珍しいという閉鎖的な土地柄でもありませんので、
純粋に、「人を見る」 という行為を失礼なものとして認識していない国民性なんでしょうね。

ですが、正直いって、ブダペスト滞在中の出来事を実際呼び起こしてみると、
ハンガリー人たちの不躾な視線の記憶以上に、
「街中で声をかけてきたバックパッカー日本人男子が
 『一緒に観光地まわりましょう』 とか言ってしつこく後をつけてきたので、
 それを巻くのに必死だった思い出」 というものががダントツ一番で登場してしまうので、
それ以外の不愉快だった事は、全部割とどうでもいいジャンルに分類されるのです。

私が必要以上にハンガリー人を嫌わないような効果をくれて
ありがとうバックパッカー日本人男子。
ブダペストの端麗な記憶を凌駕するレベルで、迷惑な記憶として
思い出に現れてくれてありがとうバックパッカー日本人男子。
どことなく、なべやかんに似ていたけど
その後順調な人生を送っているだろうかバックパッカー日本人男子。










◆2011年9月10日 (日)

20110910.jpg


??

なんでしょうね?

よくある、「難しい内容のことに、かわいい絵をつけて分かりやすく解説」
みたいな本の一種だと想像できますが、
まあ、言うほど別に絵がかわいいわけでもないし、
ていうかまずテーマが神々の話である時点で、
別段難しい内容というわけではありませんから、
察するに、神話好きのライトマニアック層向けに、
ちょっと綺麗な挿絵を餌として載せておいて、
その浅はかな知識を多少でも深めさせようという目的で発刊された書物のように思います。

このように、わかりやすく解説された文章を読むと手に取るようにわかりますが、
この世に存在する 「神々」 と分類される存在は基本的にどうしようもないやつらばかりです。
異様な我侭、狂気じみた愛憎、猟奇殺人犯、アル中、色魔、近親相姦、等々……

あ、狂気じみた愛憎という話で思い出しましたが、
上述の、ハンガリー旅行を共にした日本人女子は、
現地で通っていた学校のクラスメイトとして出会った存在で、
当時の年齢で20代前半の大学生であり、趣味で演劇やオペラをやるという、
なかなか特殊な嗜好をもったアーティスティックな女性で、
私は結構仲良くしたかったのですけれど、
このハンガリー行きのわずか一週間後ぐらいに、
突如、彼女が学校へ来なくなるという事態がありました。

その日はちょうど、学校終わりに、オペラ座で上演中だった
ワーグナーの 「パルシファル」 を、立ち見2€で観劇しに行こうという約束をしており、
私はそれを大層楽しみにしていたのですが、
結局彼女は一日学校へ現われることもなかったばかりか、その日は音信すら不通な状態に。
後々になって判明したところによると、
彼女が滞在していたホームステイ先のホストファーザーに執着され、
何度も受けるアプローチを断り続けているうち、
納屋だか地下だかに半監禁状態にされた挙句、
乱暴されかけて大変な目にあったとのことでした。

そこから逃げ切って新たな住まいを見つけたあとの彼女は案外カラッとしていて、
納屋への誘導から襲われるまでの一連の流れを、
事細かに、楽しそうに、微に入り細にわたって、私へ説明してくれたぐらいですから、
部外者の私が危惧したほどに心の傷を負ってはいなかったようで、そこは一安心ですが、
何にせよ、自らの欲にまかせて、自制心のきかない行動を取る変質者というのは、
我々が思っている以上に、世に氾濫しているものなのだと思い知りました。

というか、ホームステイ先でそういう被害にあったという話、
私の身近だけでもこれ一件ではないので、
意外にホームステイというシステムの本質には、危険な部分があるのかもしれません。

ちなみにですが、私は、「他者と同居はたとえ短期間でも不可能」 ときっぱり決め付け、
せっかくの語学留学であるにも関わらず、
ホームステイではなくアパート暮らしを選んでいたため、
斯様なトラブルに巻き込まれるというおもしろ体験からは
一切隔絶された孤独生活を謳歌しておりました。

というより、この時に限定せず、
私の人生って、そういう類のトラブルと無縁で進んできているんですが、
これって果たしてどうなんでしょうか。
変質者につきまとわれる、痴漢にあう、ストーカー被害にあう、といった、
うら若き乙女ならではの被害体験が、
これまでの2○年間の人生を彩ってくれたことが微塵も無いという、この色あせた現実。

先日、日本から遊びにきてくれたガールフレンドちゃんなどは、
この辺、異様に抜きん出ていて、
行ったり住んだりした諸外国の先々で、
あらゆる痴漢とストーカーと露出魔と変態に出くわしていますし、
ことさら安全な日本に居たとしてもそれは同じなだけでなく、
なんと、わずか数日のベトナム滞在の間においてまで、
そういった輩を身辺に発生させるという、
もはや驚異的なまでの変質者吸引力を誇っている有様です。

信じられないですね。
なんなんでしょうこの違い。
人生を思い返してみると、唯一変態被害っぽいもので思い当たったのは、
学生時代、実家にいたころに下着がやけに順調に減っていくので、
「いやだ、パンツ泥棒かしら。(ニヤニヤ)」 と、
予期せぬ女子らしい被害の勃発に若干沸き立ったことがあるぐらいですが、
それもよくよく考えてみれば、ぼんやりしながら洗濯物を取り入れていた母が、
自分のと間違って彼女のタンスに閉まったっきり、そこに埋もれて行方消失、
などという顛末がもっとも現実的であり、おそらくこれが真実なのでしょうから。
もう本当にやるかたありません。


ところで何の話なのでしょうか?
何故話がこのような突拍子もない方角へ向かうのでしょうか?
2011年に、神々にまつわる書物の表紙を撮影していた私も、
まさか数年後に、そこを発端として、下着泥棒の話題にまで転化させる
自分へ繋がる未来など、きっと想像すらしていなかったことかと思います。
ごめんね2011年の頃の私。
私は変質者一つ寄せ付けることもできずに、
下着泥棒被害へ根拠不明の憧れを抱く、こんな屈折した大人になってしまったよ。










◆2010年9月10日 (金)

20100910.jpg




これ  ですね。

今でも私の咀嚼回数は、平均値からすると明らかに少ないです。
朝ごはんを食べなかったり、昼ごはんを食べなかったり、
炭水化物ばかり過剰摂取したり、でもその咀嚼回数は少なかったり、と、
もう、極端に不健康な食事摂取方法にしか傾くことができないのでしょうか。

日本において家族が居た頃は、家に帰れば、
ご飯を作ってもらうか私が作ってあげるかしていましたし、
一人暮らしになったら、誰かと一緒に外食という場面も多いですが、
まったく一人きりの生活になった場合に、私がどういう食生活に偏るかという傾向について、
完全引きこもり孤独お一人様生活を送っていたウィーン滞在時の日記を探りますと、
それは一目瞭然にて把握することが可能です。

久々に調査の為、当時の日記を見返してきましたが、
ビックリするぐらい、
同じものしか食べていませんでした。


朝 : ヨーグルト、フルーツドリンク
昼 : ツナサンドイッチ、フルーツドリンク
夜 : ピザ(もしくはチキンサンドイッチ)、オレンジ、フルーツドリンク


この頃の私は、上述のとおり、暇にまかせてパソコンばっかり相手にする日常だったため、
必然的に、したためる日記の文章量も多く、毎日の食事記録にいたるまで
律儀に書き留めていたのですが、もう、ほとんど毎日変わり映えせずに、これ。
延々と、これ。
次第に食事記録の部分は読むのを飛ばすようになってしまうぐらい、これ。

基本的に私は同じ物を食べ続けても飽きを感じないタイプなので、
全く苦もなく、このようなリズムを繰り返していたことと思いますが、
でも、それにしたって、
もうちょっと、バリエーションと栄養バランスを考えてもよかったのでは……
どう見てもフルーツドリンクに依存してるっぽいし……
まるで、さほど栄養の摂取できない野菜ジュースを、
「これ飲んでるから野菜食べなくても大丈夫!」 とか過信して飲み続けている、
メディアにだまされやすい中学生みたい……


ちなみにですが、キッチン完備のはずのアパートのコンロが壊れており、
それをわざわざ大家さんに報告するほどの
調理へ対するバイタリティが私に無かったことから、
火の使った調理が一切できず、
こういった適当食にならざるをえなかった環境があったという点だけ、
釈明の一環としてお伝えしておきます。

あともう一つ念のために言っておくと、
昨今の謎の大食いイメージがついている私の印象をお持ちの皆様からは
「毎日夜にピザ一枚? まあやりかねんな」
ぐらいサラッと思われてしまいそうな気がしますが、
この頃はまだ、本来ティーンエイジャーの小娘が食べて然るべき量というものを、
ちゃんと把握しているお利口さんだった時代なので、
ここでいうピザというのは、8枚切りの1カット、もしくは2カットぐらいですからね。

でも今だったらピザ一枚でも平気で食べるだろうといわれたら、否定できません。
しかしさすがに常識ある大人なので、それを毎日繰り返すのはできません。
一週間に4日までだったらいけます。
好きなピザは、ツナとコーンとジャガイモが乗っているやつです。










さて、そんなわけで、
ピザに始まりピザに終わった今回のウィーン覚書日記、皆様、
薫り高いウィーンの風を感じる優雅なひと時を味わって頂くことはできましたでしょうか?
もう後半部分、話題の華麗な移行をフォローすることもなく、
元の話題に戻そうとする努力すらも放棄する始末で、
しかも、ウィーンの記憶を足がかりにして、結局、
私の下衆な性質と混沌とした思い出の
掃き溜めを作成したにすぎない結果に終わりましたが、
苦情は受け付けません。


いつもは、2009年と2008年まで遡って書いていましたが、
さすがにこれほど長いと、もうこれ以上書く元気がない、というか、
ここまで読んでくれてる人が果たして居るのかどうかというおそれすらありますが、
とにかく、2009年、2008年は、それぞれ、
わけのわからん、アルパカの形をした枕と、蟹座デスマスクのフィギュアの写真という、
愚にもつかない画像しか引き出せなかったわけで、
そこから無理やりウィーンの話に繋げるのにも相当頭を使いそうな雰囲気だったので、
潔く切り捨てることにしました!
というか今、もう今回は完全に、
全てをウィーンの話に繋げる目的に変わってしまっていることを宣言してしまいました!
趣旨が!
On this dayの趣旨が変わってしまっている!





というわけで、次回は、そんなかれこれ10年前のウィーン日記などを、
本邦初公開にてサルベイジしてみようと思います。
公開用と私的覚書用と2つの日記があったのですが、
今読み返してみると、なかなかおもしろいからです。
いろんな意味でおもしろいです。
なぜか、公開用の方が、私的にしたためていたものに比べて、
圧倒的に頭の悪そうなセンスのない文章になっているところが見所です。
実際やるかはわかりませんが気が向いたら載せようと思います、
乞いませんご期待。










◆おまけ (デジカメ撮影枠)
 2006年2月ぐらい

 9月10日では全くありませんが、せっかくなのでウィーン旅行の時の写真を。
 これほど散々話題に出した語学留学の時については、
 手元に写真データがあいにく無いため、その翌年の旅行時の写真から拾ってきました。

 私の愛するウィーンの、芳しい情緒と豊かな魅力を、
 せめて画像からでもご堪能いただければ幸いです。







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どれだけピザ






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