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生きているだけで汚れていく私を、浄化しうる唯一のもの

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自分を捨ててネパールへ旅立った恋人を追う旅に出る女の子が、
その恋人の存在価値を表す際に、
そのような表現を使っていた、とある小説、
書いた作家自体が私は好きで、その本も、
読み進めている最中は大層気に入っていたのですが、
物語の終結にあまりにも納得がいかなさすぎて、
終結以外のあらゆる部分へ対する好印象がすべてそこで打ち砕かれ、
結果的に「嫌いとまでは言わないけど、別に全然良くもない」という、
至極残念な読後感のみが残っている次第です。

自分にとってすべてだったはずの恋人を追う旅で、
端的にいうと、結局恋人は見つからず、
旅に同行した男の子の親友と、最終的には結ばれるというその終幕、
本の内容の流れ的に、
到底予測もできなかった展開だったので気に食わないのですが、
それ以外の部分は総じて、文体も表現も詩的で、
心に触れる箇所の多い作品でした。

日本からベトナムへ来る際、重量制限にて持ってこられる本が限られている状況で、
数ある愛読書の中から、携行にセレクトされたあたりからしても、
私のお気に入り具合がよく察せられるように思います。


ただ、ベトナムへ来てからは一度も開いたことがなかったことに思い当たったので、
つい最近、再度読み進めてみたのですが、
やっぱり、何度読んでも、結末が、ダメ。
主人公がそういう選択をすること自体がいけないわけではなくて、
序盤から終盤にいたるまで、徹底して貫き続けていた恋人への思いが、
一種病気なんじゃないかって思うぐらい、ある意味異常なレベルだったので、
それがクライマックスになって唐突に、
今まで突っぱね続けていた親友くんに、割と容易くコロっと傾いてしまった流れが、
どうも不自然に思われてしまって、仕方がないのです。
 
 


まあそれはそうと、なぜ、この度、
この本について思いを馳せていたかというと、
今現在、私は、タイトルに引用した文章のような気分でいるからです。
というか、それをひどく求める気分でいるからです。


別に、汚されるような影響を周囲から受けている状況ではないと、
客観的にみればそうなのだと、わかってはいるのですが、
やっぱり、生きていくのって、自分が望む手段だけに手を染めて進めていけるほど、
単純でも、生ぬるくも、ないですので、
晒すことを望まない環境に一瞬でも置かれることのあるこの身を、
本来の私に帰れる世界で、綺麗に治したいと思うのは、誰でも当然のことですよね。

帰りたいし、還りたいし、返りたい。
戻れる場所の、景色の美しさに、絆されたい。
 
 




でも、そういえば、最近「汚された」としっかり思うことも、ありましたよ。
たとえば、私は今カンボジアにいますが、滞在しているホテルで、
真夜中にフラフラした感じで擦れた雰囲気にて帰ってきたら、
そんな私の姿を目にとめたフロントマンが、超絶訝しげな表情で走り寄ってきて、
「止まって!止まって!ちょっと、部屋の鍵、もってる?見せて??」と、
全力で、進入を阻止してきた時とかね。

完全にコールガールと間違えられましたね。

信じられない……
こんなに清楚で上品で優雅で可憐な、まとも宿泊客の私をつかまえて、
まさかの商売女認定だなんて……

汚された、これは、汚されたわ。

その前日に、ホテルで、何やらコールガール絡みの騒動があったのだと、
後々聞いて、まあ納得といえば納得しましたが、
とりあえず、あんまり肩出しすぎの服も、考え物ですね。
 


あと、もう一つは、最近行った病院で、
腹部の超音波検査をした際。
検査終了後、お腹に塗りたくられたままの、
温くてベトベトのドロドロした液体をどうしたらいいかわからず、
起き上がれずにいた私へ対し、
冷たい目をした医師が、数枚のティッシュをぞんざいに投げて寄越し、
「自分で拭けよ」という台詞まで投げかけられた時。


汚されたな、って、思いました。
これはやられた、と思いました。


どういう意味かは、まあ、各自考えてください。
別にいやらしい意味ではないです。